人気温泉旅館ホテル250選に5回以上入選の宿 特集記事

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「温泉文化」をユネスコ(国連教育科学文化機関)の無形文化遺産に登録しようと、国内の温泉地や旅館関係者が活動を進めています。
日本の温泉文化の魅力とは。そして、登録に向けて関係者がさらに取り組むべきこととはー。
「にっぽんの温泉100選」(観光経済新聞社主催)で21年連続1位に輝く草津温泉(群馬県)を代表する
旅館「ホテル一井」の女将、市川薫さんと、国内、海外の温泉で取材経験が豊富な温泉エッセイストの山崎まゆみさんに語っていただきました。

温泉エッセイスト

山崎 まゆみさん

温泉エッセイスト・跡見学園女子大学兼任講師。日本と世界33カ国の温泉を取材し、「日本人にとって温泉はアイデンティティーである」をテーマに執筆。著書は温泉の原風景を描いた『だから混浴はやめられない』(新潮新書)、ひとり旅を推奨する『おひとり温泉の愉しみ』(光文社新書)、旅館の内側と女将の素顔を綴った『女将は見た 温泉旅館の表と裏』(文春文庫)、最新刊は昭和のスター達の温泉旅館での滞在秘話を描いた『宿帳が語る昭和一〇〇年 温泉で素顔を見せたあの人』(潮出版社)等多数。東京新聞、観光経済新聞、味の手帖などで連載中。Yahoo!や文春オンライン等のWebメディアでも精力的に執筆。毎月第4水曜日には「NHKラジオ深夜便」に出演中。観光庁長官表彰の審査員、VISIT JAPAN大使、内閣府「クールジャパン・アカデミアフォーラム」参画など公職を多数歴任。

ホテル一井の女将

市川 薫さん

さいたま市大宮出身。昭和女子短大英文科卒業後、銀座「和光」入社。退社後、草津温泉ホテル一井長男、市川紘一郎氏(元草津町長)と結婚。一井の女将として旅館業に携わる。草津温泉女将の会「湯の華会」を立ち上げ初代会長となる。その後、群馬女将の会副会長(現職)、JTB女性経営者委員、群馬県観光審議会委員を歴任。2010年には湯畑前に「パステリー&レストラン「月の井」をオープン。2012年に群馬県総合表彰、2015年群馬県功労者表彰を受ける。2019年からは草津温泉観光協会長を務める。

山崎 「温泉文化をユネスコの無形文化遺産登録に」という運動が業界内を中心に行われています。2013年に和食が登録され、去年は書道の登録を推薦すると文化庁から発表がありました。温泉文化は書道と競ったのですが、その次の機会である2028年の登録を目指すことになりました。
私は仕事柄、日本各地の温泉施設や宿泊施設の方々、一般の方々に向けて講演をする機会が多いのですが、「温泉文化をユネスコ登録へ」という話をしても、その活動を9割方ご存じありません。

市川 ほとんどの方がご存じないんですね。

山崎 これを今から国民運動にするべく、「『温泉文化』ユネスコ無形文化遺産全国推進協議会」の皆さんが活動されています。そしてこの「5つ星の宿」は、本年度から一般書店で販売されることになりましたので、一般の皆さまにも、「温泉文化」をユネスコ登録へという推進をご理解を頂きたいというのが、今回の対談の趣旨です。
そんな中で、「にっぽんの温泉100選」に21年連続で選ばれている草津温泉から、地域を代表する女将の市川さんにお話を伺いたいと思っております。よろしくお願い致します。

市川 ありがとうございます。

山崎 まず自己紹介をさせていただきます。新潟県長岡市で生まれ育ちました。両親が子供に恵まれなかったところ、家から車で1時間ほどの「子宝の湯」といわれる栃尾又温泉に通い、私ができたそうなんです。
そんな逸話を聞いて育ちましたので、温泉に恩を返すつもりで今の仕事をしています。
2002年から、世界の温泉の取材を始めまして、これまで33カ国の温泉地に行きました。

市川 世界中にそんなに温泉があるんですね。

山崎 アイスランドのような火山がある国はもちろん、ヨーロッパにも各地で湧いています。
ただ、世界に行って気付いたのは、日本の温泉が一番ということ。
温泉街、旅館、女将、共同湯。お湯というものに情緒という付加価値を付けて、文化にしたのは、世界で唯一、日本だけのように感じます。

そんな日本の温泉文化を世界に認めてもらうことは、私の悲願でもあります。世界の温泉を取材するかたわら、日本の温泉文化を世界の人たちに紹介することにも努めました。
和食と違ってお湯は海外に持っていけませんので、海外で開催される旅行博のような所に行っても、何でPRすればいいのか、どのように情報発信したらよいのかを試行錯誤しなが
ら取り組んでまいりました。
そのような活動を評価していただき、2008年の1月、まだ観光庁ができる前の国土交通省から「YOKOSO(ようこそ)JAPAN大使」にも任命していただきました。
和食がユネスコの無形文化遺産に登録されて年がたち、この間、海外における日本食レストランの数が3.4倍に、日本の食材の輸出量は2.7倍に。和食を目当てに、多くの観光客が訪日しています。
温泉文化が登録されたら、今よりもっと海外の方が日本の温泉文化を体験しに来て、消費をしてくださると期待しています。
草津温泉も、さらに世界に羽ばたくチャンスが到来すると思っております。

市川 私は実家が埼玉県の大宮なんです。主人と見合いをして草津に嫁いできました。

山崎 ご実家は旅館ではないんですね。

市川 はい。私の父は非常にお堅い仕事、警察官だったんです。
私は学校を卒業したあと、銀座の和光に勤めました。そして銀座から草津へ。春に見合いをして、秋に嫁いだものですから、冬の草津を知らないままここに来たんです。
非常に厳しい父でした。よく言っていたのは、「女は三界に家無し」ではないですが、過去も未来も現在も、自分の行ったところがすみかになるということ。「最終的にはお前が決めたのだから、泣いて帰っても実家の門には入れないよ」と。
嫁いだ先は大家族でした。10年ぐらいはお手伝いさんのようで、夫が長男でしたから、義父の世話、義母の世話から、ほかのお手伝いさんと一緒にやってきました。
旅館の仕事に携わるようになったのは嫁いでから10年ぐらい後。それから43年間、女将という形で仕事をしています。
私が旅館の仕事を始めた当時、女将というのは旅館の最前線に出ていなかったんです。厨房に入ったり、部屋の掃除をしたり、従業員の世話をしたり。バックの部門で働いていました。以前は女将さんと呼ばれず、奥さんと呼ばれていたんです。その後、高度成長期が来て、女将と呼ばれ、仕事も変わってきたんです。

山崎 高度成長期までは、今でいう女将さんではなかったんですね。

市川 お客さまの前でごあいさつをしたり、そういう習慣はなかったですね。

山崎 団体の受け入れとともにごあいさつを。

市川 はい。ですので女将文化というのは50年たつかたたないかくらいだと思うんです。
旅館で最初に仕事をした洗い場では、食器を洗っている従業員の手を見たんですね。みんなお湯で手がふやける中でも一生懸命仕事をしている。「ああ、旅館はこういう人たちに支えられているんだ」「この人たちの生活が良くならないといけない」としみじみ思いました。
「女将さんは旅館の華なんだから、お客さまの前に出てください」と社員に言われて、それで宴会の時だけお客さまの前に出て、少しずつ旅館の接客というものを学んでいきました。
接客は和光にいた時に学んだことがありました。大切なのは、まず、あいさつがしっかりとできるかどうか。
そして、お客さまの顔を覚えること。和光は服部時計店の販売部門から始まった小さな専門店です。高級なものを販売しており、常連さんが多いということで、この方はどこどこ
会社の何何様と覚える。これは旅館でも非常に役立ちましたね。
それから四十数年間、ずぶの素人の私が多くのお客さま、職場の皆さんに支えられて現在に至っています。

山崎 ご苦労をされているんですね。

市川 でも、旅館には板前さんがいて、仲居さんがいて、番頭さんがいて。そういう人たちが支えてくれてこその女将なんです。
女将については、家のお母さんのような存在でしょうか。
私が実家に帰った時も、「あら、お母さんは?」「お父さんしかいないの?」「何時に帰ってくるの?」と。家にいないと寂しい感じがしました。

山崎 いることで安心しますね。

市川 はい。旅館で接客をする時、男性の従業員でももちろん良いのですが、女性はより細かいことに気付くようで、お客さまも安心できると思うんです。
旅館のおもてなしは、大切な人が自分の家に来た時を考えれば良いと従業員に言います。「大事な人が家に来た時に、あなたならどうする」「やはり良いおもてなしをしたいでしょう」と。お布団はふかふかの方がいいし、テーブルも奇麗に拭いた方がいい。それはおもてなしの原点だと思うんです。

山崎 今、東京をはじめとする大都市で、高級ホテルがたくさんできています。
そのようなところと温泉旅館との違いは、システマチックなホスピタリティか、女将をはじめとする人による気働きのおもてなしか。私は似て非なるものだと思っています。
そして、温泉旅館とホテルの最も大きな違いは、私は間合いだと思うんです。
市川さんは、お客さまの顔を覚えることが大切とおっしゃいました。つまり、「この方にはこのサービスを」という、システマチックではないおもてなしですね。「このタイミングでこのお話をする」「このタイミングでこの品を出す」という、システムには組み込むことができない、日本特有のおもてなし。その絶妙な間合いは、海外のホテルではあまり体験できないですし、日本人が得意とすること。細やかな心配りは女性の方が得意なのかもしれませんね。

市川 私はおもてなしというのは、ある面ではおせっかいだと思います。「大丈夫ですか」とか「足元に気を付けてください」とか「階段がありますよ」とか、声を掛けて差し上げる。

山崎 何かをして差し上げるという気持ちですよね。

市川 そうなんです。
「おもてなしって何だろう」と思った時、「持っているもので成す」ということがよくいわれますが、気配りとか目配り、そしておせっかいが大事なのではないかと。
だけど、年配のお客さまはともかく、今の若い方はおせっかいを好まなくなっているのかなという気もします。ホテル的なおもてなしも考えていかなければいけないのかもしれません。おもてなしに心を込めて、ということで宿文化をつないできたのですが、これからの若い人たちには、それに関しては「うざいわよ」という感じになってしまうのかなと、少し心配です。

山崎 女子大で教えていますが、学生さんは、人と人とのつながりを尊く感じているように見受けます。ただ、人によっては「うざい」と感じる若い方もいるかもしれませんね。
むしろ海外の方が、そのような日本的サービスを喜ばれるように思います。言葉が通じなくても、何かをして差し上げたいという気持ちは通じています。
私が海外に行って、今でも思い浮かぶのは、困った時に助けてもらった人の顔。すごくよく覚えているんですよ。
先ほどの言葉で言うと、おせっかいをしていただいた時。その時の経験がその国全体のイメージになっています。
ですので、外国の方が温泉旅館に泊まった時も、女将に出ていただいて、気持ちのいいおせっかい、おせっかいという名のおもてなしをどんどんしていただきたいです。

市川 ある時、室内の冷房が効きすぎているようで、寒いという、肩をすくめるようなポーズを外国人のお客さまがしていたんですよ。そうしたら、若い男の子の従業員がすーっとひざ掛けを持ってきたんですね。
私、彼をすごく褒めたんです。そういう気配り、心配りがとてもうれしかったんですね。
年輩の仲居さんなら分かるんですよ。でも若い人がそのような気持ちを持っているとは、日本はまだまだ捨てたものではないと思いました。

山崎 そういう優しさを温泉旅館の思い出にしていただきたいですね。

市川 あとは、旅館で具合が悪くなる方がたまにいるんです。長旅をして、食べるものも普段の3倍ぐらい食べたりして、夜中にちょっと具合が悪くなってしまったとか。
旅先だと不安になるじゃないですか。その時に親身になって対応してくれた従業員や夜警さんに、お客さまはみんな感動するんです。これもおもてなしの心なのかと。

山崎 心が温まります。それをもっと打ち出したいですね。高級ホテルにもない、温泉旅館だからこその得難い体験。これも温泉文化の一つですね。

市川 「ベテラン病になっちゃだめよ」とよく言うんです。ベテラン病ほど怖いものはない。全てこなせる。完璧にできる。でも、お客さまが「物」になってしまう。
その点、若い子は一生懸命なんですね。
初めて宴会場に出る、初めてお客さまに接して料理を出す、といった時に、一生懸命というのは必ずお客さまに伝わるんですね。
だから、「ベテラン病にならないように」「いつまでも初々しさをなくしちゃいけない」と言うんです。でも、だんだんなくなっちゃうんですよね。人が物に見えてしまうんですね。

山崎 緊張感を持つ、ということでしょうかね。

市川 顔を覚えられなくなるのは「年」かなとも思いますが(笑い)。

山崎 温泉文化の核となる温泉旅館、その旅館の核となる女将や従業員のおもてなしの話を伺いました。
女将は女の将軍と書きますが、これはいい言葉ですね。別に威張り散らす将軍ではなく、気丈で、優しく、気働きができる素晴らしい総監督。
ところで、温泉文化を継承するために大切と思われることはほかにございますか。

市川 温泉文化というものは、先人たちが長い間苦労して築き上げたものです。
私たちは江戸の中期からここ草津で商売をしているのですが、過去のことを時々思うんです。例えば、戦時中はどのように過ごしてきたのだろうかとか。
私たち観光業は、平和産業といわれます。
戦争や災害、事件があったりすると、お客さまがいなくなってしまう。そういったことを乗り越えてきた先人たちの苦労というものを、私たちはこの温泉文化を継承するためにも忘れてはいけないと思うんです。なぜ今日があるのかをずっと考えていかなければいけないと思うんですね。
ぽっと出の、昨日今日できたものではない。そこに先人たちがいる。温泉を守ってきた人たち。街をつくってきた人たち。そして草津を愛してくれた人たち。働く人、町民、観光客。そういった人たちが今日まで築き上げてきたということなんですね。
そこをよく理解して、これからの次の世代につなげることが大事だと思います。
私たちはボランティアではなく、ここで生活をしている。食べているんです。経済が成り立たないと、暮らしも成り立ちません。
それには1軒の旅館がどんなに頑張っても限界がある。地域全体が発展していかないと、それぞれの湯宿も発展しない。1軒だけ良ければいいということではありません。旅館のほかにもお土産屋さん、飲食のお店、いろんなお店があります。そういった人たちとどれだけ協力をして、街づくりに取り組むかだと思います。
高度成長期の時は、自分の旅館さえ良ければと、夜の6時になると玄関の電気を消して、お客さまを外に出さない。そんな時代もあったんです。
でも、今は温泉街の多くの旅館がバスを出したりして、お客さまを街の中心に送っています。「ゆっくり街を楽しんでください」と。
街全体でもうける。みんなで利益を分け合うんです。
なので、うちの旅館も2次会コーナーをやめて、ラーメンコーナーもやめました。カラオケやラーメンは外に出て楽しんでくださいと。それが現在の草津の発展の元ではないかと思います。
温泉文化を次の時代へ継承するために、やはり若者が誇りを持って働ける温泉地にしなければいけません。給料が安くこき使われる。
土日に休むなと言われて友達と会うこともできない。そうではなく、働き方もこれからはきちんと考えていく。若者が魅力を感じられる温泉地づくりをしなければ次につながりません。
増してこれからますます少子化の時代になります。東京に一極集中し、地方が疲弊しています。若者が地元に帰ってここで頑張るのだという、そう思ってもらえるようにしなければなりません。仕事の場だけではなく、ガス抜きをする場も必要。そのようなことをこれから地域全体で考える必要があります。

山崎 温泉文化を人から人へとつなぐソフトのお話でしたが、草津温泉はハード面でも、日々進化していますね。昨今では「温泉門」や「裏草津エリア」ができたり、新たな楽しみが増しました。行政も事業者と一体で、という意識がかなりあるのでしょうか。

市川 そうですね。行政は箱を作りますが、それを磨き上げるのは行政と民間の両方です。意識は合致しています。行政が箱を作り、「後は知りません」では、ただ建物があるだけの、寂れた温泉地になってしまいます。そこに魂を入れるのは行政、民間を含めた私たち全ての地域住民です。

山崎 ところで、市川さんが特に意識している温泉文化とは何ですか。

市川 湯治です。1泊でお帰りいただく方が多いのですが、これからは2泊、3泊と泊まっていただける温泉地にしなければと思います。
私たちの旅館の通路に、明治20年の時の宿帳があります。1年間に千人泊まっているのですが、泊は1万泊。つまり、1人10泊しているんです。
もちろん、1日でも良いのですが、これからゆっくりと滞在していただきたいですね。日本人はあっち行ってこっち行ってとせかせかしているといわれますが、外国の方はゆっくりしているじゃないですか。
ゆっくりと温泉に入り、散歩をして、森林浴をする。これからはそういった湯治のような旅を提案したいですね。
でも昔を見ると、農閑期に1週間滞在する農家の人がいたりと、結構優雅だったんですね。

山崎 原点回帰ということですね。今、外国の方のお話もありましたが、外国の方に温泉文化、温泉旅館を体験してもらうに当たり、変えなければいけない点、変えてはいけない点などはございますか。

市川 2003年に当時の小泉首相が観光立国宣言を行った後、外国の方が多くいらっしゃるようになりましたが、正直言ってトラブルもいくつか見受けられました。
だけど、何度も訪れているうちに、慣れてきたというか。日本人が海外旅行に初めて行った時に、飛行機の中で宴会をしちゃったとか(笑い)。日本もそういう時代があったわけです。
今は、海外の人が日本食大好き。逆に、日本人が日本食離れです。お魚を食べない。食べ方が分からない(笑い)。

山崎 温泉旅館のスタイルは変えていないと。変えるべきではないということですね。

市川 そうですね。
だけど長期滞在すると日本食だけではつらくなると思いますから、1食だけはパンやハンバーガーでもいいと思うんです。私たちが1週間ヨーロッパを旅行したとして、1日だけは和食にしたいと思いますよね。

山崎 よく聞く話として、いまだに大浴場にバスタオルを巻いて入るとか、他にもいろいろと起きている話を聞きますが、やはり日本の旅館のスタイルは変えるべきではないと。

市川 そうですね。郷に入れば郷に従えではないですが、日本文化を味わっていただくことが大事かと。
外国人にはベッドの部屋でなければいけないともいわれますが、本当に布団がだめな人はホテルを利用すればいいんですね。湯宿文化とはこういうものだということを、体験してもらいたいですね。
外国の方の話をしましたが、日本人も畳から離れていますよね。

山崎 実際、私の家にも畳はありません。フローリングにベッドです。

市川 畳は日本文化の体験のためのものになってきているようで、日常生活では少なくなりました。

山崎 畳で食事をする所は、もはや旅館ぐらいしかない。さらに旅館でもテーブル席が増えてきました。

市川 私たちの年代になると膝が悪くなる人がいるし、若い人たちはそもそも畳に座った経験がない。生まれた時から椅子、テーブルで食事をする生活になっている。日本人の生活様式が欧米スタイルになっていますから、旅館でも快適に過ごすためには椅子、テーブルなんですね。

山崎 私は温泉文化について、各温泉地がもっとさまざまな媒体を使って明確に伝えて欲しいと思っています。草津町は、ホームページに歴史についても記されていますし、湯畑には草津ゆかりの『草津に歩みし百人』の碑もあります。自然に目に留まるところに明記されてあることが素晴らしいです。
あとは、昔、日本人がゆっくり温泉宿に逗留したこと意味、ま、湯治ですね、もっと強調してほしい。
以前に講演で、現代より昔の人の方が温泉の活用法を知っていた。酸性のお湯は殺菌効果がある一方、人によっては湯ただれを起こすことがあるので、草津温泉の帰りには四万温泉に「仕上げの湯」に入ってから帰る。そんなことを話すと、みんな「へーっ」って言うんですよ。知られていないんですね。
それが高度経済成長期に入り、温泉地が団体旅行の宴会を主とする遊興の場となり、泊まるだけの場所になってしまった。
先人がこれまで築き上げてきた温泉文化を関係者がしっかりと掲示し、説明して、一般の人々に分かってもらうことがユネスコ登録を実現するための第一歩になると思うんです。

市川 温泉の力というのはすごいと思うんですね。温泉は健康にいいし、癒やしの効果がある。地域にとっては経済効果はもちろん、教育の効果。温泉はある意味、子供の教育の場でもありますね。たくさんの人がいる中でお風呂の入り方を学ぶ。社会性を身に付けるということです。学校教育の場に修学旅行が必ずあることでも分かりますよね。
温泉には健康の力、癒やしの力、文化の力、経済の力、教育の力、さらに食の力。この六つの力があると思います。ぜひ、多くの人に味わってもらいたいですね。

山崎 私が草津温泉に来て、まずは湯畑を1周する。そして湯畑をスタートに、共同湯を巡る。白旗の湯や御座之湯。私は地蔵源泉が肌に合うもので、地蔵の湯に必ず行くんです。昔ながらの木造りの湯小屋を見ると、ほっとします。

市川 草津温泉の楽しみ方について、私は街歩きをお勧めします。歩くって健康にいいですよね。草津は湯畑を中心に街がすり鉢のようになっていて、細い路地がいくつもある。街歩きを楽しめる地の利があるんです。街並みがない温泉地でも、そこには自然がある。歩くだけでも自然に触れたり、旅館で働く人だけでなく、畑を耕していたり、さまざまな人に触れ合うこともできます。

山崎 共同湯を巡ると地元の方がよく入っておられます。温泉地で暮らす方々とお湯を共にすることも温泉の楽しみの一つだと思っています。共同湯がない温泉地では、その温泉地や旅館が作られた歴史を感じ、思いをはせてもらえる展示なり、ツールがあればいいと思います。日本人が培ってきた、その地域特有の温泉文化を、もっと声を大にして、若い方や外国の方を含めて多くの方に伝えてほしいと思います。

市川 そうですね。

山崎 最後に、ユネスコ登録への期待についてお聞かせいただけますか。

市川 宇宙飛行士の野口聡一さんが「地球に戻ったら何をしたいですか」と質問され、温泉に入りたいとおっしゃったんですよ。
大リーグのマリナーズで活躍した佐々木主浩投手も日本に帰ったら温泉に入りたいとおっしゃったんですね。
それを聞いて私、すごく元気付けられたんですよ。「そうだ。海外に行っている人たちは、やっぱり日本の文化である温泉が恋しいんだ」と。それを今でも忘れないんですよ。
だから、どんなことがあっても、日本人のアイデンティティ、ふるさとは温泉なんだということを、後世に絶対伝えたいと思っているんです。
この温泉文化の大切さを一般の方々にも広く伝えて、それによりユネスコの無形文化遺産にも一日も早く登録されることを願っています。
日本には書道があって華道があって香道がある。みんな「道」じゃないですか。作家の小山薫堂さんが「湯道」という本を書いたんです。なるほどと思いました。
お湯の道というものを、私たち宿に関わる者、お湯に関わる者は考えていかねばならないと思いました。
そしてそれを多くの人に伝えていかなければならない。伝えなければ伝わらないんです。

山崎 温泉はただ入って奇麗になる、健康になる、だけではなくて、1300年の日本人の歴史ですよね。
ですから、コロナ蔓延中に旅館の皆さまはすごく大変だな、と心配した半面、1300年続いてきたお湯が途絶えることはないわけですし、必ず光が見えてくると信じていました。
戦争とか、さまざまな出来事があっても続いてきた温泉文化です。
まさに日本人の心は温泉文化にあって、温泉文化に日本人の心がある。それをもっと世界に認めてもらいたい。そして日本人にも見直すきっかけにしてほしい。そのためにユネスコの無形文化遺産登録を実現したい。

市川 そのためにもこの運動をもっと多くの人に知ってもらわなければいけないですね。私たちも頑張ります。